¥59,800
◆最適な着用時期 9月〜翌年6月の袷・単衣頃◆店長おすすめ着用年齢 ご着用年齢は問いません◆着用シーン 音楽鑑賞、観劇、お食事会、お稽古、お出かけなど◆あわせる着物 洒落訪問着、小紋、織のお着物など 絹100% (金属糸風繊維除く) 長さ約4.4m耳の縫製:かがり縫いお太鼓柄 【仕入れ担当 吉岡より】真摯な物作りへの姿勢、約100年もの間に時代の風を読み、デザインの流行を貪欲に取り入れる。一方、これまで培ってきた匠の織りの技も大切にするブランド、ご存知、渡文より…中々お目にかかれない良柄の袋帯のご紹介です。お目に留まりましたらお見逃しのないようお願いいたします。【色・柄】特殊な織技法による櫛掻き織(つげ櫛で横糸を一本一本丹念に、よろけの動きを出しながら織る技法)により、平織りでありながら生地にボリューム感をだし、深みある色と質感で織り成されたしなやかな1点。さらりと金糸の入った黄水仙色の帯地。お柄には異国情緒溢れる更紗段文様、もう一面にはシンプルな段霞を織りなして。ざっくりとした部分や、立体感を生み出す太糸を用いて織りの表情豊かに仕上げられました。色使いも創作性溢れるひと品。スタイリッシュな装飾模様が、なんともいえない洒落味を醸し出し、飽きのこないハイセンスな仕上がりとなっています。【商品の状態】中古品として仕入れて参りましたが良好です。お手元に届いてすぐにお召し頂ける状態でございます。【 渡文について 】西陣織工業組合所属西陣織工業組合証紙はNo.371906年(明治39年)創業創業者・渡邉文七が15歳で西陣機屋に丁稚奉公の後、20歳代半ばで独立、徐々に手織機、力織機の稼動を増やし、今の地位を築き上げた。「創造性あるもの作り」を理念に、結びやすい帯を織り続けている。有職文様の格調高い形式美の意匠「名物裂」、真夏以外1年を通して使用できる手織の「波衣(なみごろも)」、1本糊の技法を用いて製織された、軽くてシワになりにくい「纐纈(こうけつ)ST」などのシリーズがある。【 沿革 】1882年 創業者渡邉文七 京都府北桑田郡知井村に生まれる。 幼少にして父と死別。15歳で京都に出て、 西陣「山下槌之助機業店」に丁稚として奉公する。 文七は帯作りの修行に励み、その非凡な才能と努力を 認められ番頭に昇進。 1906年 独立を決意、山下家から別家を許され 「渡邉文七機業店」を創業。1914年 手機20台を稼働させ紹?、肩裏、絽丸帯などを製織 経営の基盤を固める。1922年 力繊機を導入、広巾で織り上げた帯地を2つに裁断して、 単帯として売り出して好評をはくした。1936年 手機100台、力織機10台をもって操業する西陣の中堅機業に成長。【 渡文について 】西陣織工業組合所属西陣織工業組合証紙はNo.371906年(明治39年)創業創業者・渡邉文七が15歳で西陣機屋に丁稚奉公の後、20歳代半ばで独立、徐々に手織機、力織機の稼動を増やし、今の地位を築き上げた。「創造性あるもの作り」を理念に、結びやすい帯を織り続けている。有職文様の格調高い形式美の意匠「名物裂」、真夏以外1年を通して使用できる手織の「波衣(なみごろも)」、1本糊の技法を用いて製織された、軽くてシワになりにくい「纐纈(こうけつ)ST」などのシリーズがある。【 沿革 】1882年 創業者渡邉文七 京都府北桑田郡知井村に生まれる。 幼少にして父と死別。15歳で京都に出て、 西陣「山下槌之助機業店」に丁稚として奉公する。 文七は帯作りの修行に励み、その非凡な才能と努力を 認められ番頭に昇進。 1906年 独立を決意、山下家から別家を許され 「渡邉文七機業店」を創業。1914年 手機20台を稼働させ紹?、肩裏、絽丸帯などを製織 経営の基盤を固める。1922年 力繊機を導入、広巾で織り上げた帯地を2つに裁断して、 単帯として売り出して好評をはくした。1936年 手機100台、力織機10台をもって操業する西陣の中堅機業に成長。 撥水加工をご要望の場合はこちら (ガード加工 帯) (パールトーン加工 袋帯) ※仕立て上がった状態で保管されておりましたので、折りたたみシワが付いております。この点をご了解くださいませ。 [文責:吉岡 駿] ▲ サブ画像をクリックすると拡大画像がご覧になれます。
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