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【井関宗鱗 紋屋井関】特選西陣織袋帯〜綾綺織〜≪御仕立て上がり・中古品≫「羊歯に唐草献上文」これが西陣織始祖の逸品!通も唸るハイクラス!

【井関宗鱗 紋屋井関】特選西陣織袋帯〜綾綺織〜≪御仕立て上がり・中古品≫「羊歯に唐草献上文」これが西陣織始祖の逸品!通も唸るハイクラス!

¥121,000

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◆最適な着用時期 10月〜翌年5月の袷頃 ◆店長おすすめ着用年齢 ご着用年齢は問いません ◆着用シーン 結婚式、披露宴、パーティー、初釜、観劇など ◆あわせる着物 黒留袖、色留袖、訪問着、付下げ、色無地 絹100%(金属糸風繊維以外) 長さ約4.54m 耳の縫製:かがり縫い六通柄 【仕入担当 竹中より】着物通のうなる逸品。 存在感あふれるお柄行が魅力のひと品を仕入れてまいりました。 西陣織の始祖。 限られた場所で限られた方にだけ販売される最高級品。 井関宗麟の名前を冠する、紋屋井関さんの逸品をご紹介いたします。 どうかこの機会をお見逃しなくお願いいたします。 【商品の状態】中古品として仕入れてまいりました。うっすらと締め跡がございますが美品です。【紋屋井関】皆様ご存知の通り、日本で一番古い機屋の【紋屋井関】。 1200年前の平安京の誕生以来、西陣織は宮廷織物師たちによって育まれてきました。 その中でも特に「紋屋井関」の名前で呼ばれていた井関家は、 西陣の紋織創始者を遠祖にもち、室町時代の末期に御寮織物司として任命された 六家のうちのひとつとして知られております。 井関家は、その優れた技術と意匠によって、 御寮織物司を代表する一家となっていきました。 1571年(元亀二年)大舎人座31家の中から御寮織物司6家の筆頭に任命されました。 井関家…屋号を紋屋 和久田家…  絹屋 小島家…   不詳 中西家…   織屋 階取家…   錦屋 久松家…   織物屋 明治維新まで300年間、そして現在まで改姓、絶家せずに続くのは井関屋のみ。 公家の山科家・高倉家を通じ天皇家の御衣装束の調進に当たりました。 御所御用は特権的栄誉でありますが、かなり厳しかったようです。 時代の流れにともなって「御寮織物司」という制度はなくなりましたが、 紋屋井関はその伝統を現代にも引き継いでおります。 禁裏装束の復元といった文化事業にも協力を惜しまないその姿勢は、 西陣織文化の守り神のような存在といっても過言ではありません。 磨き抜かれた技と豊かな歴史とが巧みに織り込まれた西陣の伝統、御寮織。 そのすべてが手織りであることはもちろん、ひとりの職人が織りものの組織を把握し、一人前に織りこなすようになるまでは20年もの修練を必要とします。 禁裏装束の基本ともなる有職文様などの古典的な織柄も、 このようにして代々受け継がれ現代によみがえっています。 【お色柄】その歴史と実績に裏付けられた名門の匠が織りあげた逸品は、 豪華に煌めく金の引箔地に広がり、計算し尽くされた美しさ。 お柄には羊歯に唐花文様を重厚な雰囲気にて、 幽玄かつ煌びやかな気品と華やぎを持たせ織り上げられております。 存在感あふれる典雅な格式に、箔の侘びがさらなる趣味性を感じさせてくれます。 また、お手にとっていただければお分かりのように、 密な打ち込みの織味ながら信じられないほどしなやかで、斜めの伸縮性にとび、 横には伸びないという復元力の強さが、締めやすくシワになりにくい地風です。 素材を吟味しけして妥協せず、延々と受け継がれる織技術で丁寧に作り上げられた帯。 紋屋井関の袋帯は、帯としては逸品中の逸品で、 室町界隈でもほとんど流通いたしません。 銀座の一流の呉服店でしか通常お取り扱いのないお品ですが、 ご縁があって特別にこの場でご紹介させていただくことができました。 代々と受け継いでゆける、いえ受け継いでゆくべき至高のひと品。 自信と責任をもっておすすめいたします。 末永く、大切にご愛用いただけましたら幸いです。 【 紋屋井関について 】西陣織工業組合所属西陣織工業組合証紙はNo.1318※※1953年の西陣織の証紙制度登録参加時点では証紙番号はNo.1。当時の登録名は「井関」。(当時の組合加盟社の中の38社が証紙登録開始)番号は、当時参加した織屋の名前・いろは順で決定されていた。室町時代から500年以上続く日本の中で一番古い歴史を持つ機屋。四代昌庵が岡本尊行に紋織技術を伝授し、西陣織が始まったとされることより、「西陣織の始祖」「紋織の祖」とも呼ばれる。現在は十九代当主。1555年(元治元年)初代井関宗麟が日本で初めて空引機を考案し、高級な紋織物国産化を完成させた。公家や将軍・大名たちの装束を織る「御寮織物司」として、宮廷文化を彩る逸品を織り続けた井関家には「桐竹鳳凰麒麟文」を筆頭におびただしいほどの古代裂が残されており、今日のものづくりの礎となっている。また、素材として絹糸は「宮糸」と呼ばれ、禁裏装束のみに用いられた幻の糸(現在の14中生糸、極細で特に光沢性と弾力性に優れている)を使用、金糸・箔はすべて本金・本プラチナ・本焼銀を使用している。【 西陣織について 】経済産業大臣指定伝統的工芸品(1976年2月26日指定)多品種少量生産が特徴の京都(西陣)で生産される先染の紋織物の総称。起源は5?6世紀にかけて豪族の秦氏が行っていた養蚕と織物とされ、応仁の乱を期に大きく発展した。18世紀初頭の元禄〜享保年間に最盛期を迎えたが、享保15年(1730年)の大火により職人が離散し大きく衰退。明治期になりフランスのリヨンよりジャカード織機を導入した事でこれまで使用されてきた空引機(高機)では出来なかった幾多の織物が産み出され量産が可能となった。織機はおもに綴機、手機、力織機の3種類で企画・図案から意匠紋紙、糸染、整経、綜絖、金銀糸、絣加工等多くの工程があり、これらの一つひとつの工程で熟練した技術者が丹念に作業を行っている。西陣織には手の爪をノコギリの歯のようにギザギザに削って図柄を見ながら織り上げる「爪掻本綴織」、「経錦(たてにしき)」、「緯錦(ぬきにしき)」、「緞子(どんす)」、「朱珍(しゅちん)」、「紹巴(しょうは)」「風通(ふうつう)」、「綟り織(もじりおり)」、「本しぼ織」、「ビロード」、「絣織」、「紬」など、国に指定されているだけでも12種類の品種がある。「西陣」および「西陣織」は西陣織工業組合の登録商標である。 撥水加工をご要望の場合はこちら (ガード加工 帯) (パールトーン加工 袋帯) ※仕立て上がった状態で保管されておりましたので、折りたたみシワが付いております。この点をご了解くださいませ。 [文責:竹中 浩一] ▲ サブ画像をクリックすると拡大画像がご覧になれます。